東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

マンホールや消火栓などの蓋、特に地味蓋を中心に観察しながら歩きまわります。タイトルとは裏腹に都外出没頻度も高いです。

あの階段をのぼらずにお参りができるバリアフリー仕様。天満神社の下に(がくもんのかみ様)とあるのも可愛い。

多数決で右の真念へんろ道を通ることにします。マムシに注意 sneke Note(すね毛メモ)

自動車は通れない

感電にも注意

案内がなければ間違いなく直進します。

 

ぎゅわーんとカッコいいモノレール(正式な呼び名が分からない)

切通し風の道もいい感じ。

急に文明的な未成道トンネル

どっちに行くのかな???

と迷っていたらこの写真の右枠外で作業中の男性が叫んでくれて、そちらを見ると大きな手ぶりでどう通ったらよいかを示してくれました。ありがたいありがたい。

↓↓に写っているのはその人じゃないです。ヤギさんたち。

なにかのはたらくくるま。棒がシュルシュル伸びてミカンでも収穫するのでしょうか???

 

大きいほうのっ道標には鶴の異体字が書かれているようです。二十番靏林寺。

 

HenRoへんろ道

真念へんろ道 真念さんはDay1の記事にも書きましたがお遍路システム中興の祖みたいなひとですね。

へんろ道 各種お遍路案内板。

竹林の道はクッションがよくて歩きやすいです。もちろん、整備されているからですが。

遠く、江戸時代に埼玉出身の女性が建立した地蔵尊だとか。

昭和のジェーン台風の記録も平成の道路改良工事の記録も石に残します。

鳥居も撮りまくり

ゑびっさんが生まれた所 生夷神社。実在したの? 後で調べたら結構由緒ある神社だそうで、お参りしてくればよかったと後悔。

ずっと元気にコケコッコーしていました。

ちょっとピンボケですが謎の「公衆電話」看板。以前はここにあったのでしょうか???

ちょっと酸性雨にやられて溶けたのか骸骨っぽく見えたお地蔵さん。右の丸いのは道祖神?

カラフル

鶴林寺おくのいんまで八十五丁。奥の院に参拝する余裕がいつもありません。

トイレがありがたい。狸お遍路さんも「おーう助かります」と。

鶴林寺の石柱がお出迎えですが今日はここまでです。

近くの道の駅に向かいます。

 

台湾の皆さん熱烈歓迎。団体さんが訪問する予定でもあったのかな?

恐竜もお出迎え。

この日の宿は廃校を利用したお宿。へんろ道からは外れていますが道の駅まで迎えに来てくださるので助かります。

 

各客室には樹木の名前と学校の部屋の名前の二通りの呼び名が付いているところがちょっと可笑しい。どっちか一つにできなかったのかな?

 

室内には杖立と納経帳のお布団まで供えられた完全なお遍路仕様でした。

 

食堂は2年生のお部屋

ごちそうさまでした。

 

本日の歩行距離:約20km 歩行時間:約8時間 (休憩時間を含む)

弘法大師おむつき堂

仏足石がありましたがカバーのガラス板が結露していて何も見えません。ガラス板と石の隙間から覗いてみてもあんまり。

 

洪水への備えでしょうか?舟がありました。

こういう遍路道は嬉しいです。

ひとつ前の記事にも書きましたがこの案内板では少し直進してから右折するように見えますが実際は他の道しるべが示すように看板手前を右折します。多数決。

 

是より立江寺十八丁

立江寺江とでも書いてあるのかもしれませんがよく分かりません。

立派な常夜燈

ポン菓子!

常夜燈がもう一基。

複雑な水路

立体交差しています。

ご神体は火の見櫓

さらに

生きるのです!

柑橘類収穫用モノレール

 

恩人の碑

十丁の丁石

良さげな消火栓蓋

ごつい道標

煙火工場。のろしではなく花火のことなのですね。

何かの飾りつけ中。

アニマルたちがたくさんいました。花火の観客なのか生贄なのか?

伝説のお京塚

寿

どんなせったいをいただけるのでしょうね。せったい処には寄っていませんが方向的には右へ。

優等生なリバーシブル1ねん生

不動明王さんも見守ってくれています。

赤い橋の向こうが立江寺

おすすめのロシア料理が気になります。

 

ロシア料理とは対照的なお団子を購入

 

 

さっきの仮店舗よりもこちらのお店で買えばよかったかな?

裏口からお邪魔したのですが、立派な正門を撮り忘れました。

仁王さんは入院中。

さっき買ったお団子は5個入でした。お寺で休憩している人が2人いらっしゃったのでお分けしようと声を掛けたら、女性のほうの方が私は柏餅を買ったのですが多いので交換しましょうか?と。で、2つ交換してもらい、もう一人の男性に一つずつ差し上げました。

 

ここで出会った若い男性はとてもイケメンで語り口もソフトな素敵な方。この後、何度も道中で抜かれ、私が札所に着くとすでにお参りを済ませて他のお遍路さん(大抵、中年女性)と話をしていて、私よりもお寺に長居して、その後、道中で抜かれ、札所でお話しされているところに追いつくを繰り返しました。多分、僧侶かな?モテモテお坊さん。

カメラをぶら下げている歩き遍路が珍しがられたということでこのシリーズのタイトルを四国八十八ヶ所カメラ歩き遍路としたということをシリーズ冒頭に書いたのですがどうもゴロが悪いので遍路中なのに路上観察要素が多いということで歩き遍路の路上観察、縮めて「歩き遍路上観察」に変えてみました。そのうちまた別のタイトルに代わることでしょう。

 

さて、民宿を出てすぐに恩山寺に到着です。でも、山門を少し過ぎたところに横からのアプローチ。

せっかくなのでぐるっと回って山門をくぐります。

 

写真を撮っているところの背後の方向が山門が出来た頃の遍路道なのでしょうね。生きているうちに逆打ちをすることがあればそのまま直進してみたいところです。

山門をくぐったとは思えないような山道参道。

恩山寺ビランジュと聞くとお洒落なパン屋さんみたいですが木の名前でした。

少し年配に見える不動明王

本堂まであと二丁

西國三十? どういうことでしょう???

 

 

 

左井土寺とありますが、井戸寺を間違えたというよりもそのように書くこともあったようです。

 

 

 

この道沿いにはかわいらしい石仏がたくさんありました。

 

 

 

これは千手観音でしょうか?

地蔵丁石も。あと一丁

お大師さんの背中が見えますが、その手前に道標。

直進ではなく左を差しています。昔はそちらに道が付いていたのでしょう。

今日もよろしくお願いします。

 

お参りを済ませて最強のお札と言われる摺袈裟というお守りをいただいてから19番へ向かいます。珍しく経緯度標。

遍路シールとかは見当たりませんでしたがいかにもな道なので降りてみました。

すると道標があったので間違ってはいなかったようです。少し地図で確認していると地元の方が「分かる?」と声をかけてくださいました。優しい。

安いし欲しいけど量が。

私有地に入ります。なんとなく従来からの遍路道に思えるのですがどういう経緯かで私有化されたのでしょうね。

近寄ってはいけない牛舎のほうへ向かいそうになりましたが脇に竹林を抜ける道がありました。こっちなのでしょう。

鶴巻坂。義経にまつわる謂れのある地。やはり、最近私有地を通る道が出来たのではないようです。あるいは戦の途中ですから義経が個人の土地を横切ったということもあるでしょうが。

密漁パトロール。ターゲットはメジロ。

地元のロータリークラブが設置してくださっている案内標。道路を示す赤い線の中でこの看板が立つ位置が示されていないので少しわかりにくいのが残念。ここでも、この先、右に分岐するのではなく、前の道を道なりに進むのが正解。

タケノコ採取の痕。こうやって人の手が入らないとあっという間に竹に埋め尽くされて道がなくなってしまいそうです。

山腹崩壊で通れなくなった道もありました。

舗道を下った先。本来、歩き遍路はここへ出るのでしょう。

さっきの弦巻坂に対して弦張坂。義経はこの道を逆打ち方向に進んだようです。

 

四国八十八ヶ所カメラ歩き遍路 シーズン1 Day0 準備、持ち物

 

四国八十八ヶ所カメラ歩き遍路 シーズン1 Day1 1番霊山寺~7番十楽寺

四国八十八ヶ所カメラ歩き遍路 シーズン1 Day2 7番十楽寺~11番藤井寺

四国八十八ヶ所カメラ歩き遍路 シーズン1 Day3 11番藤井寺~12番焼山寺~神山温泉

四国八十八ヶ所カメラ歩き遍路 シーズン1 Day4 神山温泉~16番観音寺

四国八十八ヶ所カメラ歩き遍路 シーズン1 Day5 16番観音寺~18番恩山寺

食べ盛りのころ、カップヌードルよりも金ちゃんヌードルのほうが好きでした。麺を食べた後のスープに冷や飯を投入して食べてたな。お世話になりました。

 

街の文字

 

家具

 

整骨院どうでしょう

上流、ゆるみ、変形

 

☞森神社道 ☜は? と思ったら最初の字は「へ」の変体仮名なのですね。3文字目は路なのでしょう。だいぶ崩されているけど。(くずし字のデータベースがありました。好色一代男より) 

無骨な石灯籠

 

 

レイリア大通りをありがとう。

 

日本一低い山弁天山 国土地理院認定 標高六・一メートル だとか。あれ?天保山じゃないのか? と思ったら道標のほうには日本一低い自然の山とありました。天保山は人工の山だったのですね。とは言え、国土地理院が認定しているのは多分、日本一ということではなく標高のほう。なんとも微妙な看板です。ちなみに東日本大震災の津波で削られた仙台市の日和山という山のほうが天保山より低いそうです。

 

山頂の祠

登山記念グッズ

山頂からの風景?

 

勝占神社

三木武夫外務大臣

道標がたくさん

煉瓦橋台

そういえば小松島市に入っていました。

祠と消火栓がカラフルさを競っています。

ETのNGシーンのような指のすれ違い道標

弘法大師お杖の水。ポンプ用電源装置やパイプは見えなかったことに。

恩山寺18 真念へんろ道 鮒の里立江寺19番

恩山寺八丁 あと1km足らずですね。

芝生中というか芝生前というか

 

乗り物たち

 

プロパン

シャープハイカラー 歓

千羽ヶ嶽のお豐とお君の墓。どなたでしょうか?

源義経上陸の地

 

恩山寺まではもう少し距離がありますがなぜか立派な寺標。「四國㐧十八番 恩山寺」十八がまるで一つの漢字のようです。

低い半鐘

 

茂兵衛さんの道標に従い県道から脇道に入ります。

 

火はつけな。と言われると放火しそうですが、このあたりの方言で否定命令形なのでしょうか?

 

よく分からない石碑

そして今晩の民宿。看板のあるほうではなく左下が入り口だったはずとキョロキョロしてたらそっちであってると手招きされました。恩山寺も行けなくはないですが明日にします。

杖を洗って部屋に入り、お風呂をいただいて夕食といういつもの流れ。今日もご馳走です。

 

本日の歩行距離:約25km 歩行時間:約8時間30分 (休憩時間を含む)

 

この道標、「百六十四番 右 おんざんじ」と書いているように見えます。百六十四番というのは道標の番号なのでしょうか?

畑のような空き地に縁石付きの蓋。

制水辨。骨董蓋ですね。徳島市の水道は大正15年に通水したのだそうです。ただ、このあたりは当時は徳島市ではなく国府町。紋章もないので設置の経緯はよくわかりません。

 

大きな板碑。奉供養光明真言五億一百萬徧とあります。徧は遍の異体字。村中で真言を唱えた合計を記した記念碑でしょうか?

 

中鮎喰橋。神山町からずっとたどってきた川の名前もそうですが、「あくい」と読むのだそうです。まもなく吉野川に合流。

 

根元に刻まれた文字で「相輪」というものだと知りました。

緑の奇跡「クロロフィル化粧品」。店名看板の上に「小間物、洋裁具」とあります。小間物って今は聞かないですね。ロフトやダイソーは小間物屋でしょうか?

リュックを背負っているといつも以上にしゃがんで写真を撮るということをしなくなります。

道路元標かと思った道標「恩山寺江四 文化??年十一月」。右は「??四丁」とある丁石。ここからだと恩山寺まで15キロ程度はありそうです。どこからの距離を示すのでしょうか?

 

恒例、まだ空いてないうどん屋さん。

 

SELF DRY (とは?)

メタテ

さっきの道路元標風の道しるべが「恩山寺江四」とありましたがこちらは「ばん江二」。そんなに一気に近づいていないはずです。何を表す数字でしょうか?一方、右側の「古神社」は大麻比古神社かな?

立派な煉瓦煙突がありました。

醤油屋さんでした。

 

カゴメケチャップとカゴメソースの琺瑯看板。どちらも初めて見ました。

諏訪神社。

狛犬の目が黒目がちです。

 

三柱神社

 

ポンポコさんもいるお松大明神

 

途中で買ったお弁当を食べられそうな場所を探していたら徳島の市街地でやっとベンチを見つけました。えらいやっちゃ、えらいやっちゃ

 

BIG ROAD。このあたりでちょっと足の裏が痛くなってきました。

金刀比羅神社

 

石灯籠は台座の市元からの高さが10メートルを超え日本一の折紙つきとのこと。ちなみに広島県府中市の金毘羅宮にも高さ8.4m、笠の大きさは7.4㎡(たたみ4畳半)で「日本一と自慢されている石燈籠」があり、岡山市の吉備津彦神社には高さは11.5mで笠の大きさはタタミ8畳分の「日本一と言われる石灯籠」があります。滋賀県甲賀市には「日本一の大きい自然石の石灯篭」があるようです。言ったもん勝ちですね。

この区間では徳島市の蓋類を何枚か撮ったので一挙に。

 

徳島市名物、独特な角蓋と、各地にある波模様の蓋。

上下逆の日本テレコム蓋。

制水弁と右書き量水器

大坂や京都にもある4隅に市章のある2枚組大型量水器角蓋と汎用右書き量水器

管理栓(って何?)、消火栓

 

後半へ続く